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日本語教室をはじめようと、
日本に国際電話を掛け
小学校1年〜3年生までの
国語の教科書をシドニーに
送って貰いました。
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経営という孤独 第4章 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜商売は誰も教えてくれなかった〜
パースの生活にもピリオドを打ち
ビザも残る事、半年となり
シドニーに再び戻りました。
当時のイングリッシュスクールの1時間の
受講料は$10が相場。
わたしは$7で日本語教室を始めました。
(勉強嫌いの私もこういった才覚や要領は
高校教師だった母から譲り受けたに違いない)
カフェのママのすすめで、街の飲食店に配布される
フリーペーパーを使って、留学生をターゲットにして
生徒さんを募集しました。
勿論、当時は携帯電話などありません。
わたしが生活していたバックパッカーのフロントを
受付にしてでの開校でした。
オーナーにお願いして、バックパッカーのロビー
を教室がわりに使わせていただきました。
募集をする事、一週間くらいで電話が鳴りはじめた。
時間が流れ、気がつけば日本語が挨拶程度しかわからない、
アジアからの留学生男女7人の生徒さんが集まっていた。
しかし、素人の私がまともに教えれる筈がない。
生徒から徴収したお金はみんなでお酒を飲んだり、
食事をしたり、どちらかというと、そういった
ムード作りから大切に生徒との絆を深めていきました。
そんな中、出会ったのがインドから、やってきた
ビッキーだった。ビッキーとは部屋が違うものの
僕と同じ宿で暮らしてました。
ビッキーはインドでの貧困な生活を口癖のように
語っていた。
いつもオーナーにお叱りを受けている。
言うまでもないだろう、、、、
家賃を滞納させているのである。
しかし、お金が無い代わりにオーナーに対して
善を尽くす姿がなんともハングリーであり、
みんなを魅了していった。
同じ年ですごく、お調子モノのビッキーだったが、
自分の本当の苦労を語ろうとしないビッキーに
私も惹かれていった。
ある日彼に将来の夢について問いかけてみた。
>こっちで永住権を取るんだ。
仕事がなくても永住権さえあれば国からの
生活保護だけで充分食える。
もう、インドでの貧しい生活はウンザリさ。
当時は世界各国からの移民が増え、
永住権を取るには3000千万はかかると
言われてました。
わたしは彼の内情を知りながらも聞いてみた
どうやって?
>カンタンさ、オージーと結婚するのさ。
>>次のコラムに進みます。 |
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